東日本大震災 被災地へ再び

4月に参りました被災地に再度参りました。石巻市、名取市、仙台市、南三陸町です。新たに原発の影響ある福島県郡山市にも参りました。仙台市、名取市に関してはがれきがおおよそ撤去されていました。そのかわり保管場所(一時)にも参ったのですが、がれきの大きな山が出来ていました。

この山のがれきを各県に移動し、最終処分地へ移動するのは時間と費用が掛かりすぎる。分別されおり、一部の山に関してはそのままモニュメント的な考えもあると感じます。

閖上小にも参りました。ここでは写真を集めて持ち主に返すことをしています。4月に比べてやはりボランティアが少なくなっていました。私も16年前にアルバムがないままですが、写真には撮った人の心がある。生きた歴史である。思いでは大切で何とか協力したい。再度ここでのボランティアを募集をしていきたい。まだまだ支援はできる。
南三陸では、広域連合の支援が来てくれるのはありがたいが3日で帰ってしまう。また1から説明しなければならないとご指摘をうけました。県からは都市計画で来年3月まで頑張ってくれる形も出来ました。この町はほとんどがれきが撤去できていないような気がします。

石巻では、復興案ができつつあります。安全を重視して防潮堤を高くし、市街地は高台土を2重に設置する構想を持っています。住民には高い地域に住んでもらうような構想です。高台土の土地は兵庫県の提案でもあります。

しかし、都市計画を進めていかねければならないので、2年間は浸水した地域は何も建ててはいけないことになります。自分の土地に自分の家を建てることができないのは、納得いかないような気がします。選択制で高台に住居する人と従来の土地に住みたい人によって地区計画すべきだと感じます。

また、福島県郡山にも参り、原発で避難されている方々とのお話もすることが出来ました。もう水は十分あると思っていましたが、実際は福島の水道水を飲むのに抵抗がある方が多く、この点は支援の強化点です。また、仮設では一時金100万円が半年分なのか3年分か期間がはっきりしない。怖くて使えないとういう方が多くありました。クーラーを使うことはほとんどないそうです。これは東北人の強さなどでなく、節約しなければどうしようもないからだと・・

神戸に帰ったその足で矢田市長にお会いしました。被災地の現況やこれからの支援について相当議論させていただきました。市長からは名取市や各市での職員派遣やソフトの部分での提案、全体での官僚の使い方など前向きな議論をしました。